10話の感想

 今回はかなり予想外の展開でした。てっきり前回の続きから始まって、10話から11話にかけて徐々にほむらの謎が語られると思っていたんですが、10話丸々使ってほむらの事情を全て語ってしまいました。これでほむら関連の伏線はほぼ回収したのではないでしょうか。

◆ほむらの過去

 暁美ほむらは何度か時間をループしている、鹿目まどかを守る内容で契約した、元々はいじめられるような子だった、ループ前の時間軸でソウルジェムの秘密を他の魔法少女にバラしてみたがうまくいかなかった等、以前からネット上で予想されていた通りの内容が多かったんですが、見せ方が上手かったと思います。
 メガネっ娘ドジっ娘のほむら、魔法少女になったまどかとマミの共闘、チームを組んで戦う魔法少女など、視聴者が「こうあって欲しかった、有り得たかもしれない」と妄想したような内容を見せて「持ち上げる」一方、それが全てバッドエンドに至るのを、同士討ちや魔女化などインパクトのある見せ方で見せて「落とす」ことで、八方塞がりの状況で足掻くほむらが悲壮な決意を固めていく過程を充分印象付けていました。
 まどかを守りたいほむらが、まどかを守りたいからこそ、まどかのソウルジェムを壊さなければいけなかったシーンが個人的には一番印象的でしたね。

◆変則エンディング

 また、ほむらのいきさつを描いた本編の後でEDテーマではなくOPテーマへとつながるのは、OPテーマの「コネクト」の歌詞がほむらを連想するような内容だったことが伝わる演出だと思います。まぁ歌詞の解釈などは人によって違うのでこれが絶対的な解釈とは言えませんが、少なくともループしたほむらが再びまどかを守る為に闘い始めたことを印象付ける使い方でしたね。

◆10話のまとめと今後の展開

 こちらの10話感想のまとめがわかりやすかったのでリンクしておきます。

アニメ『魔法少女まどかマギカ』10話まとめ。神回だった。 ― カオスな情報置場


 今回で話の核心に関わるほむらの謎がほぼ明らかになったので、伏線回収といった要素はもうあまり残っていないですね。後はワルプルギスの夜について等でしょうか。他にまだ何か仕掛けがあるとすれば、「1話アバンのシーンでまどかが何の願いで契約したのか」という点ですね。まどかの家族についても意味ありげな描かれ方をしていましたが、これまでに出てきたアドバイスをするシーン以上の役割は無いのかもしれません。
 また、今回のエピソードからすると、まどかが魔法少女になったらほむら的には「詰み」なので、本編の時間軸ではこのまままどかは魔法少女にならずに終わる可能性もあります。話のたたみ方がわからなくなってきましたね。

黒執事2のシリーズ構成

シリーズ構成について ― みにまる雑記帳

 この前、三幕構成によるシリーズ構成の話題を書きましたが、比較的最近見たアニメの中では『黒執事』2期の脚本・シリーズ構成が巧かった印象です。『まどか☆マギカ』のようにわかりやすく三幕構成になっているわけではないのですが、1期をうまく引き継ぎつつ綺麗にまとめていましたね。ちなみにシリーズ構成を担当していたのは、今期も注目作を手掛けている脚本家の岡田麿里

◆1期とのつながり

 1期も見ていましたが、悪魔が契約に基づいて主人公の魂を喰らうのがラストシーンという、どう見ても続きがあるとは思えない潔い終わり方だったので、あそこからどうやって2期につながるのか疑問でした。
 2期では、最初のうちは1期とのつながりが明らかではなく、1話では新しい主人アロイスと黒執事クロードが登場して主役交代を匂わせておいてから、1期の主役であるシエルとセバスチャンが登場して主役は変わらないことが明らかになります。

 その後もすぐには1期とのつながりがはっきりせず、1期から直接つながった話なのか、パラレルな世界観にして1期の結末は無かったことにしたのか、はっきりしない話の進め方でした。2話は1話のエピソードと関係ないシエルの使用人たちとフィアンセのエリザベスをフィーチャーしたエピソードを展開し、3話では死神グレル、4話では1期で死んだアバーライン警部補の双子の兄、5話ではインド出身のソーマとアグニ、他にも葬儀屋や華僑のラウなど、1期に登場した主要キャラクターを登場させています。ファンサービスとか1期のバラエティに富んだ雰囲気を引き継ぐとか理由は色々考えられますが、そうしたゲストキャラを活用した1話完結のエピソードをやりながら、2期の本筋に絡む新キャラであるアロイスとクロードの存在を小出しに出しています。

 5話の会話や描写で、2期は1期の後につながる話であることが明らかになり、6話でようやく真相が明らかになります。真相はわりと強引な、少年マンガによくある「実はあの時〜」と、死んだキャラが後から死んでいなかったことにされるような御都合主義の展開なんですが、あの1期のラストから話をつなげようとすればどうやっても強引になるのは仕方ないでしょう。


 この1期と2期を力技でつなぐ部分が時系列通りにいきなり最初にくると、どうしても強引な印象が強くなると思うんですよね。ワンクッション入れることでそうした強引な印象を回避しつつ、逆につながりをぼやかすことでうまく視聴者の興味をひいているのは上手いかわし方ですね。さらに真相が明らかになる6話では、既に全12話のうち半分が過ぎてアロイスにまつわるメインストーリーも動き出しているので、そのまま後半に誘導しやすくなっています。


 「完結するように終わった1期からどうやって話をつなげるか」という難題を逆に活かして成功しているのではないでしょうか。

◆キャラクターの関係性

 また、前半はシエル&セバスチャンとアロイス&クロードの2組の主従の対決の構図を持ち出しておいて、クロードがアロイスに愛想を尽かす中盤からは、シエルの魂を巡るセバスチャンとクロードの対決と、クロードに振り向いて欲しいアロイスとクロードに欲されているシエルの対決、という捻れた構図に変化し、終盤の10話からそれまで脇役だったもう一人の悪魔、ハンナがここに加わって話が複雑になります。つまり1期とのつながりで引っ張る前半はシンプルな対立の構図で、真相が明らかになって本筋の話が大きく動く後半は、より入り乱れた構図になっていますね。
 6話でセバスチャンとクロードが取引したところから関係に変化が起きているので、こちらもやはり6話がターニングポイントと言えます。

◆まとめ

 こうして見ると、明確な線引きはしにくいものの、1期の状況をうまく引き継ぐ為の前半、真相が明らかになり状況が変化する中盤、本筋の話で締めにかかる後半、とある程度は役割分担してまとめているように思います。


 また、全体の構成とは別の話ですが、最後のオチが人によってハッピーエンドともバッドエンドとも取れる、因果応報を思わせる結末で、なおかつあの結末で3期は無いだろうという終わり方でした。ファンの方には賛否の分かれそうなすっきりしないエンディングでしたが、完結したかに見えた1期を力技で2期につないでみせ、さらに徹底したやり方で再び締めくくってみせた、という点でよく出来た脚本だと思います。

大人への通過儀礼

 前回は、『まどか☆マギカ』における魔法少女を「大人の世界に放り込まれた存在」と解釈してみました。ここから話を進めて、魔法少女になる契約を「大人の世界に入る為の通過儀礼」として解釈してみると、こちらのブログで書かれていた5話の契約シーンの演出が意味深なものに見えてきますね。

魔法少女まどか☆マギカ 第5話:契約=破瓜? ― アニメ元ネタ解析

 5話で描かれた契約シーンは、個人的には悪魔の契約のイメージで見ていたので魂を抜き取る「死のイメージ」の方が強いのですが、同時にこうした「破瓜のイメージ」も感じられますね。エクスタシーというのは死につながるイメージがあって、絵画や小説ではこの2つのイメージを重ねて描かれていることがよくあります。また、あえてキュウべぇが雄と設定されている理由の1つになりますね。


 また、ここで触れられている「魔法少女が使っている銃や剣、槍などが男性器の象徴」という解釈はこちらのブログでも見かけました。

『魔法少女まどか☆マギカ』の精神分析(上) ― アニメ分析/

 こちらの記事の精神分析はやや強引な気がしましたが、「憧れの母」を失うことが、まどかが魔法少女の契約を決意するキッカケになるのではないか、という結論は確かにありそうですね。
 9話で、杏子がまどかに「家族に囲まれて何不自由なく暮らしている幸せな奴が魔法少女になることはない」といったことを言っていたり、2話でさやかが「自分たちは幸せバカだ」と言っていますし、裏返せば、家族を失うような不幸な状況に追い詰められる展開はあるのではないかと。強引な形で「親からの自立」という通過儀礼をくぐり抜けることで契約に至るわけですね。


 どちらにしろ、まどかが夢を見ていられる「少女」ではなくなった時、それくらいシビアな現実に直面した時に契約を問われるという展開にはなると思います。

魔法少女への変身〜大人にまつわるメタファー

 魔法少女の歴史について、こちらのまとめが非常にわかりやすかったです。社会状況の反映という視点は否定的な人もいるでしょうが、個人的には説得力のある意見でした。

Togetter ― 「雑考#4:魔法少女アニメ考 サリーちゃんからまどか☆マギカまで」

 そういう視点はひとまず置いても、大筋の流れは反対する人はあまりいないんじゃないかと。これを踏まえて今回の話です。

魔法少女の変身

 上のまとめで触れられているような80年代の魔法少女もの作品(『ミンキーモモ』とスタジオぴえろ魔法少女シリーズあたり)は、少女が大人の姿に変身することで自分の未来の可能性や大人の世界を垣間見る、というのが一つのパターンだったように思います。つまり魔法少女は「背伸びしてひと足早く大人を経験する存在」だったと言えますね。
 一方、『セーラームーン』以降の戦う魔法少女ものにおける変身は、平和な日常から敵と戦う非日常への移行を表す戦闘形態、といったもので、特撮ヒーローの変身と同じようなものだと思います。だから変身中は本名ではなく戦士としての名前で呼び合ったり、一般人に姿を見られても正体がバレなかったりするのだろうと。こういった変身には少女から大人へ、といった意味合いはあまり無いように感じます。

 では『まどか☆マギカ』においての魔法少女はどうかと考えると、どうもこの2つの要素を組み合わせているように感じますね。

大人びた魔法少女

 これまで登場したキャラクターを見てみると、巴マミ佐倉杏子は家族を失っており、暁美ほむらも一人暮らしです。美樹さやかを除いて、魔法少女は嫌でも自立せざるを得なかった孤独な存在として描かれています。
 また、未だに魔法少女になっていない鹿目まどかと、魔法少女になった美樹さやかを比べると

☆普段より少し派手なリボンを付けて学校に行くことがちょっとした冒険になる、恋愛にはほど遠いまどかと、片思いの相手に何かと世話を焼いているさやか(1話の描写)

☆マミの魔女退治を見学しに行く時、変身した姿のコスチュームをあれこれ考えてイラストを描いてきたまどかと、危険な目に遭った経験から護身用のバットを持参したさやか(2話の描写)

といったように、現実的で年相応に大人びたところのあるさやかに対して、まどかは良く言えば純真無垢、悪く言えば年の割に子どもっぽい性格です。

 こうして見ると、大人びた魔法少女と子どもっぽい一般人のまどか、という構図のように見えます。命懸けで戦うシビアな状況の中では子どものままでいられない、嫌でも大人になることを強いられるのが魔法少女の世界と言えます。

魔法少女になるということ

 『まどか☆マギカ』の世界観において魔法少女になるということは、子どもが子どものまま、シビアな殺し合いをする大人の世界に放り込まれ、魔法と引き換えに「未来の自分の可能性」をひと足早く使い潰す、といったところでしょうか。しかもこうした状況は上位の存在であるキュウべぇに管理され、利用されているわけです。
 これは、マスコットキャラに導かれ、子どもが大人の世界に足を踏み入れる、自分の可能性を見るという80年代型の魔法少女像の「大人の世界」の部分に、戦う魔法少女の「敵との戦い」を組み込んでネガティヴに解釈した、といった印象ですね。ネガティヴな世界に引き入れるマスコットキャラだからネガティヴな描き方をされていると。


 こうした世界観は、例えばジュニアアイドルが芸能界という大人の世界で商売道具として利用され、ロリコンに性的欲望の対象として消費される、といった構図に近いのではないかと思います。つまり、子どもが子どものまま大人の世界に入りこみ、大人に利用されたり消費されたりするという歪な構図です。
 そう考えると、「魔法少女」をオタクが「欲望の対象」として消費する、という状況に対する批判的、もしくは自虐的なメタ視点が入っている気がします。こうした点も「魔法少女もののアンチテーゼ」といったニュアンスを感じるところですね。

シリーズ構成について

 こちらのブログで書かれていた、『まどか☆マギカ』の脚本のシリーズ構成を、ハリウッド映画をはじめとして定番の脚本構成の手法「三幕構成」で捉えた分析が興味深かったのでリンクしておきます。

シナリオ構造論から「魔法少女まどか☆マギカ」を読む ― なんでもリスト


 自分が見ていて漠然と思っていただけの事を、はっきりと言語化されていて非常に納得しました。そう言われると確かに映画の三幕構成ですね。『まどか☆マギカ』は脚本の支配力が強いので、こうした作劇術や演出という切り口で語るのはなかなか有効だと思います。

◆省略の多い話の進め方

 最近よくアニメを見るようになって思ったんですが、全体のストーリーの組み立てよりも、キャラクターの魅力をアピールする為の描写や各エピソードのインパクトなどの「部分的な要素」を重視する傾向が強いですね。キャラクター造形や登場人物の関係性などにテンプレートな設定を取り入れることで、余計な段取りを省いてテンポ重視で話を進める作品が多いように思います。現在放映中のものなら『ドラゴンクライシス』『これはゾンビですか?』『IS』などがこういうタイプですね。テンプレ要素をどうアレンジするか、どう魅力的に見せるか、という方向性かなぁと。

◆段取りの多い話の進め方

 逆に、『まどか☆マギカ』の場合は「魔法少女もの」というジャンルのお約束を意図的に崩している性質上、テンプレートを活用した進め方がやりづらいので、細かく段取りを積み上げる語り口になるのだと思います。単純に脚本家の個性がアニメより小説やノベル・ゲーム向きの語り口なだけかもしれませんが。


 段取りを積み重ねて丁寧に話を進める方が個人的には好みですが、アニメを見慣れている人からするとこういう進め方はややクドく感じるかもしれませんね。

9話総括から今後の予想

 9話は概ね予想通りの展開になりましたね。「さやかと対になるキャラクター」という杏子の立ち位置からすれば、さやかが魔女になった時点で語るべき物語はあまり残されていないので、さやかと共に退場という形は妥当でしょう。奇麗な盛り上げ方だったように思います。
 「2人ならなんとかなる」と言っていたワルプルギスの夜にほむら1人で立ち向かうことになったのが1話アバンで描かれたシーンで、10話か11話あたりであのシーンにつながる可能性が高いですね。次回はまどかを巻き込まないために1人で戦う決意をしたほむらが、まどかと距離を取る展開になるのではと思います。

 仁美と上條くんの問題は演出の印象から見れば、さやかに発破をかける為の仁美のお節介だったと思っていますが、今のところ本気かフェイクかはっきり明示されていません。このまま視聴者の想像に任せて流してしまう可能性も高いですが、次回に真相が明らかになって、まどかがさやかを思って泣くというような精神的に追い詰める展開になる可能性もありますね。

 キュウべぇの語りに関してはSFに影響されたような内容でしたが、やや陳腐な印象でした。エントロピー云々の説明に関してはどの程度妥当な設定か分かりにくいので受け入れられますが、感情をエネルギーに変換する技術というのはマンガやアニメでありがちなトンデモ感が強い設定です。また、これまでのキュウべぇの合理的な思考、行動のパターンに比べて、魔法少女を使ったエネルギー生産というやり方は効率が悪く感じてしまうことが違和感につながっている気がします。

 10話からはいよいよ話の核心に迫る、ほむらとまどかの物語になると思います。とりあえず着地点としてありそうな展開を少し予想してみます。

◆システムを乗り越える

 魔法少女同士のバトルロワイヤル展開にはなりませんでしたが、魔法少女と魔女を取り巻くキュウべぇのシステムの中では本当の解決、勝利は得られない、という点はバトルロワイヤルに通じるシステムの問題です。こうした物語の場合、システムの内側で勝ち残ることではなく、システムを作り出し、運営している管理人(ゲームマスター)と対決してシステムを乗り越えることが最終目的になることが多いです。アニメでいえば舞-HiME』などがこのパターンでしたね。キュウべぇを倒せないことが既に描かれているので、何らかの方法でキュウべぇのシステムの裏をかくしかないでしょう。

◆まどかによるループ説

 以前から、まどかが「全てを元に戻して」とか「みんなを助けて」といった願いで契約をして時間が巻き戻りループ、という予想をよく見かけますし、システムの隙を突く良いやり方ではあるんですが、ほむらの時間停止能力などと整合性の取れる説明が思い付かないので、この予想が当たった場合でももう一捻りあるでしょう。またこの場合、最悪の事態は回避しているものの、何も解決せず次のループで良い方向に進むことに期待するという、問題を先送りしたエンディングになりますね。

◆まどかの自爆

 9話で杏子が魔女化したさやかを道連れに自爆しましたが、あのやり方なら自分が魔女化することも魔女のグリーフシードを残すこともなく相殺できそうなので、まどかがワルプルギスの夜と相討ちに持ち込めば、まどかが最強の魔女になるという最悪の事態を回避できそうです。

Magia(アニメ盤)

Magia(アニメ盤)

 ED曲のCDジャケットのイラストで、まどかとほむらが弓矢を構えていますが、矢じりがまどかのソウルジェムではないかという指摘がありました。イラストのシーンが本編で登場するとは限りませんが、まどかが自爆する展開になればイラストのシーン通りになるかもしれません。
 この展開でも、やはり根本的な解決にはならず、まどかの魔女化の問題とワルプルギスの夜による破壊を回避するだけになりますね。


 どちらにしろ魔法や奇跡を否定的に描いている作風からいって、まどかがそういった力で問題を解決する代償としてまどかが報われない形になる可能性が高いと思います。主人公が犠牲になって皆を助けるパターンですね。