これはゾンビですか?

参考 wikipedia:これはゾンビですか?

 地上波にて全12話視聴。原作のライトノベルは未読。ハーレム系ラブコメと能力バトルの組み合わせというテンプレ色の強いスタイルでした。最初はギャグ要素高めなのが個性かと思ったんですが、中盤からはバトル中心のシリアス展開が多かったですね。

◆ストーリーについて

 序盤に複数ヒロインとの平和な日常を中心に見せ、中盤から夜の王によってそうした日常が脅かされ、夜の王を倒して最後はまた平和な日常に戻るという安定感のある構成でした。最終回が水着回&キャラソン回というおまけ的な内容だったのは、「平和な日常への回帰」で締める構成とはいえやりすぎのように思いましたが商売上の都合なんでしょうね。


 それよりも個人的に引っかかったのは、ストーリー序盤に主人公がゾンビという設定をフル活用して、体が千切れたり真っ二つになったりしても死なない様子を散々ギャグにして見せて「死」を軽々しく扱っていたのに、中盤いきなり「死の重み、命の尊さ」のような話をシリアス展開で説きだしたのは説得力が無かったですね。このあたり、ギャグ演出とシリアス展開が噛み合っていないように感じました。
 基本設定自体わりといい加減な感じなので、シリアス中心になるとそうした点がツッコミどころとして感じられてしまいますし、勢い重視であまりシリアスにならない方が良かった気がします。

ラブコメとアクション

 意外にラブコメ要素はあっさりしていてそこまで掘り下げる感じではなかったので、明確な結論の無いハーレムエンドでも中途半端感は無かったです。
 アクションシーンは、OP映像のようなスピード感や立体感のある演出が本編でももっとあれば良かったんですが、1話で主人公が初めて変身して戦うシーンや11話で夜の王と戦うシーンが比較的良かったくらいで、地味なバトルシーンが多かったですね。


 全体的にみると意外に手堅い作りだったと思うんですが、作品の内容的にはもっとギャグ路線強めではっちゃけても良かったんではないかと思います。

ドラゴンクライシス!

参考 wikipedia:ドラゴンクライシス!

 地上波にて全12話視聴。原作のライトノベルは未読です。ハーレム系ラブコメにありがちな人物関係に、能力バトル的要素を加えたテンプレ色の強いアニメでしたね。

◆ストーリーについて

 序盤に登場して一度ヒロインのローズをさらったライバル、オニキスが最後のエピソードで再び登場してまたもローズを奪い、これまでに登場した主要キャラの力を借りながら問題解決して大団円、という流れはとりあえず無難な構成で悪くはないですね。1回目は事情もよくわからず問答無用でヒロイン奪回という形だったのが、2回目はこれまでの経過を踏まえて主人公とヒロインの絆が試される、という展開も手堅いまとめ方だと思います。
 ラノベ原作のアニメとしてはかっちりした構成で綺麗にまとまっていると思うんですが、地味な中盤のエピソードをはじめとして全体的に内容が薄かった、という印象です。おそらく原作のストーリーが少し弱いのではないかと。

◆ラブストーリーとアクション

 設定自体はハーレム系ラブコメなのでメインヒロイン以外に主人公に好意を持っている女性キャラクターが増えていきますが、制作陣の方針なのかあくまでメインヒロインと主人公の関係に焦点を絞った作りになっています。ただストレートなラブストーリーとしては弱いので、どっちつかずな気がします。
 アクションについては見せ場自体が少ないんですが、エネルギー波や炎のぶつけ合いのようなパターンで、動きよりもエフェクト頼りといった印象でした。バトルはありますがアクション要素を求める作品でもなかったようですね。

◆その他

 独特の専門用語が最初から頻出しますが、黙って数話見ていれば何となく理解できるレベルで気になりません。
 気になったのは、キャラクターデザインがいわゆるハンコ絵といった感じで、主人公と同級生の友人が兄弟に見えてしまうレベルでした。3DCG使用のアイキャッチ映像など、デザインセンスは色々と微妙だった気がします。

お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!

参考 wikipedia:お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!

 地上波にて全12話視聴。原作のマンガは未読。バカなノリの強いハイテンションのコメディ作品として予想以上に楽しめました。

◆作風について

 妹萌えの作品を思わせるタイトルや、男子1人にヒロインが3人というハーレム系ラブコメのような人物関係ですが、ストレートに男性目線の願望を描いてエロや萌えを狙っただけではないように感じました。
 確かにパンチラや黒パンストなどのフェティッシュなサービス?カットにも気を使っていて、そうした需要も意識しているでしょうが、そうした男性の欲望を描きつつ同時にそれを笑いのネタとして客体化することで、自虐的に笑い飛ばす引いた視点があったように思います。ペンギンやネコをモザイク代わりに使った自主規制を過剰に入れたり、意図的に入れたり入れなかったりする演出も「ネタとしてやっている感」がありましたね。

 そういう意味では、今回の話のまとめと次回予告を「兄の性態観察日記」として見せていたのが象徴的でした。兄ではなく妹の視点から「欲望に振り回されている兄を観察する」という外側の目線に軸足を置いた作りになっていたのが肝なんではないかと。

 また、兄を含む男子4人組のAGE探検隊をかなりフィーチャーしていたのも、エロ本収集など思春期男子のいたたまれない部分、不毛な努力に焦点を当ててギャグにする上で大きかったと思います。

 他にもBL作画の担当者を別に立てたり、その短いシーンにいかにもな声優を起用したりと気合いを入れていて、大真面目にやればやるほどそれがギャグになるというあたりに作風がよく出ていた気がします。

◆各エピソードについて

 コメディ作品は1話完結のスタイルが多いので1話くらい飛んでも影響は大きくないことが多いんですが、たまたま震災の影響で未放送回になった10話と11話がひと続きのエピソードだったのは内容が掴みにくくてイタかったですね。
 この作品はアニメオリジナルのエピソードもそこそこソツなくまとめていた気がしますが、この終盤のエピソードはやや冗長に感じました。


 他にエピソード単位では2話の、兄の部屋で妄想に耽る奈緒と、別の場所で兄に直接迫っている彩葉を交互に見せるシーンが印象的でした。よくあるクロスカッティングのパターンですが、セリフも絡めて対照的に見せる見せ方が巧かったですね。

ウルヴァリン

参考 wikipedia:ウルヴァリン(アニメ)

 CSアニマックスにて全12話視聴終了。『アイアンマン』に続くマーベル・コミックのアニメ化企画第2弾。ちなみに映画版は観ていません。政略結婚の為にさらわれた恋人の真理子を取り戻す為に、主人公のウルヴァリンことローガンが日本、さらにマドリプールという島へ転戦していくというストーリー。細かい設定や描写にツッコミ所もありましたが、アクション主体の単純な作品なので気にするだけ野暮でしょう。

◆ストーリーについて

 恋人を救い出す戦いを12話かけて描いているのに、その恋人は最終回で流れ弾にあたって死亡。また親友だった捜査官を殺したのは、これまでローガンと共闘していた雪緒だったと明かされ、さらにその雪緒も死亡。事実関係だけ挙げると悲劇的な展開ですが特にそういった印象は受けなかったですね。悲劇として盛り上げたり、逆に淡々と無常な世界観を見せる訳でもなく、ラストシーンはライバルとの決闘シーンで締めています。所詮は一匹狼、といったハードボイルドな雰囲気を狙ったのかもしれませんが、取ってつけたような展開でとりあえず話を畳んだだけ、といった何か煮えきらない印象です。

◆アクションについて

 ストーリーがいま一つな分、アクションがメインにならざるを得ないと思いますが、アクションについても全体的に平凡で殺陣や動きで目を惹く部分はあまり無かった気がします。敵がパッとしなかったことも響いていますね。
 ルパン三世石川五ェ門のようなキャラの美影桔梗は敵の中では存在感がありましたが、自分のこだわりの為にローガンを助ける等ほとんど助っ人キャラ扱い、ラストシーンで決闘していますが出だしで終わってしまい、内容は描かれませんでした。
 それ以外の主要な敵であるオメガレッドや神像ヴァダカはひたすらタフでしぶとかった印象しかないですし、恋人の政略結婚の相手である黒萩秀樹は卑怯なだけの小悪党で、キャラ立ちした敵は実質ラスボス扱いだったヤクザの親玉で恋人の父、矢志田信玄くらいですね。信玄は剣術の達人で空手も使い、特殊合金製の鎖かたびらを装備という無敵っぷりでローガンを圧倒しますが、最後は唐突に逆転勝利。
 こうした「苦戦していたローガンが最後に一撃であっさり逆転勝利」というパターンばかりだったのも、あまり主人公の強さが感じられず単調なバトルに見えた原因の気がします。

◆その他

 アゴの尖った細身のデザインはやや癖が強いですが、シリアスなアクションものなので萌え絵的なキャラクターデザインよりはこうした劇画調のデザインで良かった気がします。
 OPテーマやEDテーマは『アイアンマン』と同じく映画のサントラ風やハードロック調のインスト曲でイメージに合っていましたね。個人的には歌謡曲的なテーマ曲が付けられるより高評価です。
 これでストーリーにもう少しひねりがあるとか、バトルの演出が良ければ印象が大きく違っていたのではないかと思いました。ハリウッド映画にもなったメジャー作品で、普段アニメを見ない層にもアピールしやすい素材なだけにもったいないですね。

地獄の警備員

あらすじ等はこちらを参照
地獄の警備員 ― goo 映画

地獄の警備員 ― allcinema

主観的評価 ★★☆☆☆
客観的オススメ度 ★★☆☆☆


 黒沢清監督の初期作品で、わかりやすくB級ホラーといった雰囲気。映像がビデオ作品レベルの画質なのでVシネか何かだったんでしょうか。小道具がテレックスだったり、衣装やメイクだったり、主人公が配属されたのが商社の中の絵画取引部門だったりするあたりに時代を感じます。

◆低予算ホラー

 大企業の割にひと気が無くガランとした社内や癖のある同僚など、社内を非日常的に描写しているのは低予算が主な理由だろうけれど、主人公が入社した時点で既に異様な世界に迷い込んでいたという演出、新しい環境に対する違和感の演出とも取れますね。B級臭さを感じる部分ですが、低予算を逆手に取った演出としては有りだと思います。
 あとは、殺人鬼役の松重豊の存在感の強さが、チープな特殊メイクやこけおどし等に頼らずに映画を支えていて良かったですね。

◆理解できないモノに対する恐怖

 個人的に気になった問題は殺人鬼の扱い方でしょうか。この作品では殺人鬼の警備員を、精神に異常をきたした者、普通の人間と何か違った論理で行動する者として描いています。つまり「得体のしれないモノ、理解の範疇を超えたモノの恐怖」を描いているわけです。黒沢清は後の『CURE』でも人間の内面の不可解さを描いていますし、この作品でも重要なポイントのように描かれています。

◆物理的な暴力

 一方で、その行動内容、殺人についてはスプラッター映画のような直接的な暴力を丁寧に描いています。詳しくないので解りませんでしたが、過去のホラーやスプラッター映画へのオマージュも多々あるようです。こうした描写はどうしても「物理的な暴力に対する恐怖」を強調してしまいますね。「物理的な暴力」は、動機が不明でも「訳の分かる恐怖」です。そのため、暴力描写にしつこくこだわる程、「得体のしれない謎の殺人鬼」がただの通り魔とあまり変わらない存在になってしまい、「訳が分からないモノに対する恐怖」感は薄れてしまいます。

◆恐怖の違い

 「理解不能なものへの恐怖」と「物理的な暴力への恐怖」を両立させるには、『13日の金曜日』のジェイソンや『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスのように異様な外見であったり、『エイリアン』のような人間ではないモノにしたり、『激突!』のように姿を見せないなど、異質さを強調する必要があるように思います。逆に『ターミネーター』のようにストレートに物理的な暴力で押し切る場合は、追跡のスリルや火器を使ったアクションなどに比重が置かれるのではないかと。
 そういう点で、『地獄の警備員』については描きたいこと(得体のしれないモノに対する恐怖感)と、描き方(物理的な暴力の追求)にどこかズレがあって煮え切らない印象を受けました。結果的に怖く感じないし、殺人鬼がターミネーターのパロディか何かのようでやや滑稽に見えてしまいました。

◆内面と外面

 他に目についた点は、ホラー映画にありがちな襲う側や被害者側の主観視点で恐怖感を煽るカメラワークがあまり無かったこと。むしろ少し離れた視点から冷静に眺めるようなカメラワークが多かったように思います。このあたりが登場人物の心理描写の少なさや、いたぶるように殺す残酷さなど外面的描写に対する興味の強さ、という印象につながっていると思います。黒沢監督は人間の内面はよくわからない、あまり積極的に描かないという考え方なんでしょうか。

◆まとめ

 ロッカーに繰り返しタックルして中の人間ごと潰してしまうといった面白いアイデアもありましたが、総合的にはやや物足りない作品でした。黒沢清という監督に興味があるので、とりあえず見ておいて損は無かったかなという程度です。
 あえて今この作品を見るとすれば、B級ホラーの好きな人や黒沢清に興味のある人向けでしょうか。

まどか☆マギカは本当にレイプ・ファンタジーか?

『魔法少女まどか☆マギカ』について―機能不全のインターフェイス ― ジビインコウ

 結論から言えば、レイプ・ファンタジー的な読みをする事もできるけれど、それが本質的な構造なのか?というとちょっと違うのではないかとも思えます。感覚的な違和感があったのですが、そのあたりを何とか言語化してみましょうか。

◆空気系について

 空気系という括りについては広く共有されている概念ではないように思いますが、ここでは文脈上、「ハーレム系ラブコメ等の、男性視聴者や読者の女性キャラクターに対する所有欲を満たす構造から、視聴者や読者が自己投影するべき男性主人公を除外することで、欲望する男性のまなざしを作品の外部に置いた、主に女性キャラクターのみによる日常生活を描くジャンル」といった内容が想定されているように思います。ここでは日常系、空気系の代表的な作品と見られている『けいおん!』を例に挙げます。

 『けいおん!』に於いて、「唯は俺の嫁」といった男性視聴者の所有欲をダイレクトに反映したと思われる感想はあちこちで見られていますし、ハーレム系の延長としてキャラ萌えを主眼とした楽しみ方、「空気系」で想定されている読み方をしている層は確実に存在しますね。
 一方で、『けいおん!』では「自分の青春時代を懐かしむ」もしくは「自分には無かった理想的な青春を疑似体験する」といった青春物語として受容していた層もまた存在します。こうした感想もまたあちこちで見かけますし、僕自身そうした見方に寄っていたと思います。

 つまり「空気系」という形式は主体となるべき男性を外部に出した事で、より洗練された形で所有欲を満たす形式になったと同時に、「女性キャラクターに対する萌え」という切り口以外にも対応できる解釈の振れ幅があるのではないか、と思います。『けいおん!』においては、その幅に「青春物語」が代入されたのだろうと。
 よって、「空気系を受けた男性主体の外部化」という考え方は、「キャラ萌え、男性の女性に対する所有欲」という読み方以外の可能性をはらむだろうということです。

◆レイプ・ファンタジーについて

 次にレイプ・ファンタジーという概念についてですが、こちらは「男性の側を持ち上げることなく合法的に男性優位の関係を結ぶ為に、女性キャラクターの立場を引き下げ、それを優しい男性が救うという形式を取る恋愛幻想」といったところでしょうか。その為の手段として女性キャラクターに過去のトラウマや弱々しく問題のある性格付けをしたり、トラブルに巻き込まれた被害者に仕立てているわけですね。男性側にリスクを与えずに利益だけを与える無責任な構造だ、という観点から批判されているようです。『けいおん!』と同じ京アニがアニメ化した『CLANNAD』あたりが真っ先に浮かびました。

 このレイプ・ファンタジーという形式は、単純な恋愛ファンタジーに比べて明確なパワーバランスの不平等があり、その関係性を築く為の「男性の救いの手」が必須である点が特徴です。
 すると、ここで主体となる男性を外部に置いてしまった場合、男性は「救いの手」を差し伸べる事ができなくなり、明確な男性優位の構造を築くことができません。まさしくリンク先のエントリーで書かれていた「君らの干渉できないところで彼女たちはがんがん災難にあわせますよ」という状態になってしまいます。

 よって、「外部の安全な場所から内部の悲惨な彼女たちを眺め、消費する」という見せ物小屋の構造は確かに存在するのですが、これをレイプ・ファンタジー的に「自らがリスクを負うことなく、無責任に女性を所有しようとする欲望」へと接続するには、まさしく「インターフェイスが機能不全」なのではないかと。
 まどかに対するほむら、さやかに対する杏子、といったように、別の誰かを助けようと奮闘するキャラクターに自らを仮託してハッピーエンドを夢想するような百合妄想など、二次創作的な妄想で積極的に補完することにより、一部でこうしたレイプ・ファンタジー的な受容をしているようにも見えますが、先ほど書いた空気系の例と同様、幅のある読み方の1つに過ぎないように思います。

◆まとめ

 キャラクターたちが平和な日常へのアクセスを絶たれ、危険な外部に曝され続けていること、また視聴者が安全地帯からそれを眺めていることは指摘の通りです。ただ、この構造は先に書いたように、レイプ・ファンタジーとしては不完全なものに感じられます。むしろ、外部からは手の届かないものであることが浮き彫りになっているようにも見えますし。
 ここで糾弾されているのが「欲望する視聴者のまなざし」ではないか、という主張は概ね同意なのですが、そこで問題視されているのはレイプ・ファンタジー的な関係性ではなく、あくまで「魔法少女、戦闘美少女」という形式に過剰な幻想を抱く視聴者のそれではないか、というのが僕の主張ですね。ちなみに『まどか☆マギカ』を「決断主義的バトルロワイヤル」とする解釈も個人的には違うと思っています。

ほむらのループについて

 一つ気になる点は、ほむらが色々試せば試すほど状況が悪化しているように見えることですね。

◆ループで描かれた内容

 最初の時間軸では、ワルプルギスの夜は倒せませんでしたが、犠牲者はマミとまどかの2人の魔法少女だけでした。
 ほむらが魔法少女になった次の時間軸ではワルプルギスの夜は倒されましたが、まどかが魔女化してしまいました。
 3回目の時間軸ではさやかと杏子が魔法少女として登場し、マミを含めて3人とも死んでしまいます。さらに、ワルプルギスの夜と戦った結果まどかが魔女化しそうになり、その前にほむらがまどかを殺しています。
 この後、何回ループしたかはわかりませんが、前回のループではほむらが1人でワルプルギスの夜に立ち向かったものの倒せず、代わりにまどかが魔法少女になってワルプルギスの夜を倒しますが、やはり魔女化してしまいます。

 こうして10話で描かれたループの結果を見ると、ワルプルギスの夜をまどかが倒すと魔女化して最強の魔女になり、ワルプルギスの夜よりもたちの悪い事になってしまうようです。
 また、魔法少女になったほむらがまどかに干渉することで、さやかも話に巻き込まれて魔法少女になり、しかもほぼ確実に魔女化してしまうこと、さやかが巻き込まれると何故か杏子が近隣からやって来ることがわかります。

 また、本編のまどかは「魔法少女の友人として首を突っ込む一般人」という元々のほむらのポジションに当てはまっています。最初の時間軸では魔法少女として活躍することで自分に自信を持っていましたが、本編の時間軸では昔のほむらのような弱々しく振り回されるポジションになってしまうわけですね。

タイムパラドクス

 こうしたループの内容は、タイムトラベルSFによくある展開です。過去を改変すると、空いた人間のポジションに別の人間が当てはめられたり、無くなった出来事を埋め合わせるように別の出来事が起こって辻褄が合わされ、あまり変わらない結果に落ち着いてしまうという運命論的な話、もしくはちょっとした小さな違いが次々に連鎖を生み出し、思いもよらない大きな改変につながってしまうバタフライ効果ものの話です。
 ほむらはバタフライ効果のように、過去の改変で結果が様変わりする事を望んでいますが、これまでのループでは運命は大筋で覆らないように見えます。「まどかが契約する時の願い」など、ほむらの干渉以外に何か、他の不確定要素が加わらないと事態は改善しないのではないかと思えます。
 もしくは逆に、過去の改変では運命を変えられないとして「ループして人を救おうとすること」自体を否定する展開も有り得ないことではないですね。

◆まどかの強さ

 もう一つ気になる点は、最初の時間軸に比べてまどかが魔法少女になった時の強さが変わっていることですね。詳しい描写はありませんが、マミ、杏子、さやかについては特に違いは無さそうに見えますが、まどかについては最初の時間軸の頃は普通の魔法少女として描かれているのに、1話アバンの時間軸や本編の時間軸では「最強の魔法少女になれる」とキュウべぇが言っており、実際に一撃でワルプルギスの夜を倒しています。

 ほむらがループして戻った時点でマミと杏子は既に魔法少女の契約をしており、さやかが魔法少女になる場合は上條くんについての願いで間違いなさそうなので、まどかだけループごとに強さが変わるのは契約時の願いによるのかもしれません。何が原因かはさておき、ほむらがループすることで違いが出てきた部分だと思うので、この先の展開に関わる可能性はありますね。