魔法少女への変身〜大人にまつわるメタファー

 魔法少女の歴史について、こちらのまとめが非常にわかりやすかったです。社会状況の反映という視点は否定的な人もいるでしょうが、個人的には説得力のある意見でした。

Togetter ― 「雑考#4:魔法少女アニメ考 サリーちゃんからまどか☆マギカまで」

 そういう視点はひとまず置いても、大筋の流れは反対する人はあまりいないんじゃないかと。これを踏まえて今回の話です。

魔法少女の変身

 上のまとめで触れられているような80年代の魔法少女もの作品(『ミンキーモモ』とスタジオぴえろ魔法少女シリーズあたり)は、少女が大人の姿に変身することで自分の未来の可能性や大人の世界を垣間見る、というのが一つのパターンだったように思います。つまり魔法少女は「背伸びしてひと足早く大人を経験する存在」だったと言えますね。
 一方、『セーラームーン』以降の戦う魔法少女ものにおける変身は、平和な日常から敵と戦う非日常への移行を表す戦闘形態、といったもので、特撮ヒーローの変身と同じようなものだと思います。だから変身中は本名ではなく戦士としての名前で呼び合ったり、一般人に姿を見られても正体がバレなかったりするのだろうと。こういった変身には少女から大人へ、といった意味合いはあまり無いように感じます。

 では『まどか☆マギカ』においての魔法少女はどうかと考えると、どうもこの2つの要素を組み合わせているように感じますね。

大人びた魔法少女

 これまで登場したキャラクターを見てみると、巴マミ佐倉杏子は家族を失っており、暁美ほむらも一人暮らしです。美樹さやかを除いて、魔法少女は嫌でも自立せざるを得なかった孤独な存在として描かれています。
 また、未だに魔法少女になっていない鹿目まどかと、魔法少女になった美樹さやかを比べると

☆普段より少し派手なリボンを付けて学校に行くことがちょっとした冒険になる、恋愛にはほど遠いまどかと、片思いの相手に何かと世話を焼いているさやか(1話の描写)

☆マミの魔女退治を見学しに行く時、変身した姿のコスチュームをあれこれ考えてイラストを描いてきたまどかと、危険な目に遭った経験から護身用のバットを持参したさやか(2話の描写)

といったように、現実的で年相応に大人びたところのあるさやかに対して、まどかは良く言えば純真無垢、悪く言えば年の割に子どもっぽい性格です。

 こうして見ると、大人びた魔法少女と子どもっぽい一般人のまどか、という構図のように見えます。命懸けで戦うシビアな状況の中では子どものままでいられない、嫌でも大人になることを強いられるのが魔法少女の世界と言えます。

魔法少女になるということ

 『まどか☆マギカ』の世界観において魔法少女になるということは、子どもが子どものまま、シビアな殺し合いをする大人の世界に放り込まれ、魔法と引き換えに「未来の自分の可能性」をひと足早く使い潰す、といったところでしょうか。しかもこうした状況は上位の存在であるキュウべぇに管理され、利用されているわけです。
 これは、マスコットキャラに導かれ、子どもが大人の世界に足を踏み入れる、自分の可能性を見るという80年代型の魔法少女像の「大人の世界」の部分に、戦う魔法少女の「敵との戦い」を組み込んでネガティヴに解釈した、といった印象ですね。ネガティヴな世界に引き入れるマスコットキャラだからネガティヴな描き方をされていると。


 こうした世界観は、例えばジュニアアイドルが芸能界という大人の世界で商売道具として利用され、ロリコンに性的欲望の対象として消費される、といった構図に近いのではないかと思います。つまり、子どもが子どものまま大人の世界に入りこみ、大人に利用されたり消費されたりするという歪な構図です。
 そう考えると、「魔法少女」をオタクが「欲望の対象」として消費する、という状況に対する批判的、もしくは自虐的なメタ視点が入っている気がします。こうした点も「魔法少女もののアンチテーゼ」といったニュアンスを感じるところですね。