利他的な願いの否定〜美樹さやかと佐倉杏子

 序盤の3話までは、マミの活躍を中心に既存の魔法少女のイメージを大きく崩すことなく、基本的な設定説明や伏線を張る展開でした。4話から8話までは、マミの退場と入れ替わりに魔法少女になったさやかを中心に話が展開しています。おそらく今夜放送の9話で一区切り着くのではと思います。
 さやかが魔法少女になったのに合わせて登場した佐倉杏子は、さやかと対照的な点と共通点を持つ、合わせ鏡のようなキャラクターになっているので、物語的にはさやかの抱えている問題をわかりやすく見せる為に登場したと言えますね。

◆叶えた願いと本当の願い

 さやかは「上條くんの手を治すこと」という人の為の願い(利他的な願い)と引き換えに魔法少女になりますが、本当は「上條くんと結ばれること」という自分の為の願い(利己的な願い)があって、「上條くんの手を治すこと」はその為の間接的な手段でしかない。つまり本当の願いと叶えてもらった願いにはズレがあります。

 杏子も「宗教家である父の説法を、皆に聞いてもらうこと」という人の為の願いと引き換えに魔法少女になっていますが、こちらも本当の願いは「以前のような家族の団欒を取り戻すこと」という自分の為の願いで、その為の手段として「人の為の願い」を叶えていました。

◆叶った願い、叶わぬ願い

 奇跡の力によって、杏子は「父の為の願い」を叶えましたが、それが良い方向には進まず結果的に家族を失ってしまい、本当の願いである「自分の為の願い」は叶いませんでした。
 本来は「本当の願いと叶えた願いにズレがあったこと」が一番の問題点なんですが、杏子はこの点をスルーして問題を単純化し、「人の為の願いを叶えたことが悪かった」という極端な結論を導きます。そしてその反省から魔法は人の為に使わないと決め、意識して自己中心的に振る舞う偽悪的なスタンスになります。


 さやかも、「上條くんの為の願い」は叶いましたが、自分は魂の抜け殻をソウルジェムで操っている、ゾンビのような体だと知り、上條くんとの未来を望めないと苦しみます。この時点でさやかにとって「上條くんと結ばれること」という願いは潰えてしまったわけですね。
 杏子の場合と同じく「利他的な願い」は叶ったけれど、その先に夢見ていた「利己的な願い」は叶わなかった、ということになります。

 さやかの場合も「本当の願いと叶えた願いにズレがあったこと」が問題点なんですが、やはり杏子と同じくこの問題をスルーします。自分が心の底では上條くんに見返りを求めていたこと、本当は自分の為に「利他的な願い」を叶えたことを認めたくないので、自分は純粋に人の為に願いを叶えたのだ、と意地を張ってしまったように見えます。本当の願いが叶わない、つまり見返りが無いなら尚更、見返りを期待していたと認めたくないのでしょうね。
 あくまで願いが人の為であったことを正当化する為に、魔法は人の為にしか使わないと決め、マミの遺志を継いで正義の味方で在ろうとしますが、動機が自己正当化という一種の逃げなので、どこか偽善的な態度ですね。

さやかと杏子の共通点と違う点

 2人とも奇跡の力で「利他的な願い」を叶えたけれど、その先にあった「利己的な願い」は叶わなかった、という構造が本質的な問題点であり、共通点です。
 そして2人ともこの問題を棚上げした結果、美樹さやかは偽善的・利他的な態度に、佐倉杏子は偽悪的・利己的な態度という対照的なスタンスを選びます。

◆さやかの物語

 「他人の為の願い」で契約していいのかマミに訊いた時、「本当に相手の為なのか、恩人になりたいのかをはっきりさせなさい」と指摘されていましたが、あれが4話以降の伏線になっていますね。感情的に契約を決めてしまった為にこの問題をはっきりさせておかなかったことが後の転落につながっています。
 さやかは意地を張ったために自分を追い詰めてしまい、見返りを期待してしまう本音と、見返りの無い現実のギャップに壊れていくことになりました。さやかがたまたま電車内でホストの会話を聞いて、いいように利用されている女性の話に自分を重ねてキレるシーンが象徴的ですね。
 また、この世界は救う価値があるのか?という発言も、世界の汚い部分に悲観しただけではなく、自分に見返りのない冷たい世界を否定しにかかっているように見えます。


 中盤はさやかの物語を中心に、「利他的な態度」と「利己的な態度」に焦点が当たっています。人のためといいながら、本当は自分のためではないのか、一方的な善意の押し付けではないのか、と「利他的な態度」の偽善的な部分を問題にしています。
 「正義の味方」というのは博愛主義的に誰でも助け、見返りを求めない極めて利他的な存在なので、その利他的な態度の問題を指摘していくことで、「正義の味方」という在り方の困難さを見せ、否定的に描いているように思いますね。